さぶかるもん

アニメ歴約20年、ドラマ歴約5年の硬派オタクによる備忘録

ChooseTV緊急生配信!検察庁法改正案なにが問題? 一部書き起こし

昨日、YouTubeライブで放送された、「ChooseTV緊急生配信!検察庁法改正案なにが問題?」の解説部分をメインに一部書き起こしました。

youtu.be


出演:亀石倫子、上西充子
議員:大串博志、山添拓、小川淳也

弁護士・亀石倫子さん

政権に近いと言われている黒川検事長の定年を延長する閣議決定をした。これは、検察庁法に違反するもので、その違法状態を後付で正当化するために法律を変えようとしている。

検察は行政権に属しているから三権分立の問題ではないという意見を見かけた。確かに行政権に属しているが、強大な捜査権力を持ち、起訴するかどうか判断をする特別な権限を持っているので、時には行政機関に対しても権限を行使しなければいけない立場にあり、公益の代表者として政治的な圧力から独立していないといけない、準司法機関と言われている。なので、三権分立の問題ではないというのは明らかな間違い。検察のトップの人事を時の政権の都合でいかようにもできるとなってしまうと三権分立にとって危機的な状況。

上西充子さん

この問題は黒川検事の勤務延長について国会で追及されていて、ともかく説明が通らないし、話がどんどん矛盾していく。

63歳で検事長を辞めなきゃいけないという法律案を作っていたのに、黒川検事長の定年延長の閣議決定のあと、無理くり複雑な形で法律案を変えて役職をそのまま延長できるようにした。その根拠を問われても、話がコロコロ変わり、説明が出来なくて、言い間違えるはずがないのに、前言ったことは間違えでしたと前言撤回するとか、そういう状況が続いていたので、国会を観ていれば、これは明らかにおかしいとわかる。法務委員会で検察法改正という形を取らないで、国家公務員全体の定年引き上げに無理矢理くっつけて内閣委員会でやろうとしているのが現状。混乱している状況を見られたら困るがゆえに、そうしたと思います。

共産党・山添拓さん

与党と野党(維新除く)が合意することなく審議入りされた。今やることなのかということと、検察の問題については法務省の所管であるにも関わらず、法務大臣が出席しない内閣委員会でやるのは話にならないと反対した。

解釈変更の理由を問われたら、森雅子法相は「東日本大震災のときに検察官は最初に逃げた」と事実に基づかない発言をした一幕があり、後に撤回した。また、元々の解釈では、検察官については、国家公務員法の勤務延長は適用されない、今も妥当だと人事院局長が答弁している。それが、政府の解釈変更に従う形で、あれは言い間違いでしたと言い訳して変えるという異常なことが起こっている。

無所属・小川淳也さん

アメリカの政治学者が「民主主義の死に方」という本を出している。独裁政権はソフトな顔をしてやってくる。その中で共通しているのは、中立機関の人事に踏み込むこと。その過程で長年積み上げられてきた不文律を踏み倒すと書いてある。まさに今回の検察人事がそうで、ちょっと遡ると、NHKの会長人事、それから安保法案の時に法制局長官の首をすげ替えた。その法制局長官は国家公安委員に任命された。また、裁判所の人事にもミクロで言うと踏み込んでいると言われている。

大事なことは、確かに検察の人事権は内閣にある。しかし、事と次第によっては副作用が大きいので、検察人事は伝統と慣例により検事総長が独立して行使してきたという歴史がある。いくつもの権力の恣意性の象徴として、長年積み重ねられてきた不文律を踏み倒すという同類、同質なことをやろうとしている。

ufotableと『星合の空』から考えるアニメの多様性の現在

片渕須直監督のインタビュー記事に絡めて、個人的にアニメ業界に多様性がなくなってきていると感じる象徴的な事象について書きます。

ufotableといえば、今や『鬼滅の刃』の爆発的ヒットで、京アニと肩を並べるような知名度を持ったと言えるアニメ会社でありますが、私は今のufotableは好きではありません。
過去にブログでも少し書いていますが、デビュー作の『住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー』〜『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』まではオリジナル作品含め、遊び心があり、サブカル度が高い作品を手がけており、その頃が一番好きでした。

社長の近藤光氏は、2006年のアニメージュのインタビューで、「クリエイターがやりたい企画をやれるような体制を作りたい」「インディーズ魂を大事にしたい」といったようなことを語っており、今後にも期待したわけですが、2011年のアニメ文庫というOVA3本、短編映画『桜の温度』以降、オリジナル作品を製作しておらず現在に至ります。
近藤氏は、社員が家を建てれるぐらい安定した生活ができるようにしたいともインタビューで語っていたので、まあ現状はそれを優先してるんだなと見守っていた中、昨年の脱税報道があり、もうクリエイターとしての近藤光さんは死んじゃったんだなと寂しい気持ちになりました。

一応断っておきますと、個人的な好みは別として、個々の作品を否定しているわけではなく、会社としての姿勢の話であることをご了承ください。


『星合の空』の話に移ります。

赤根和樹監督の作品としては、『ノエイン もうひとりの君へ』が人生ベスト20くらいに入るぐらい好きで、オリジナルTV作品としては14年ぶりとなり、これまでのSF・ファンタジー作とは違い、テニス部活青春ものということで驚いたのですが、とても楽しみにしていました。

アニメとしては少し物足りないものの、今の子どもが置かれている現況を見つめ、可能性を信じる強い思いに溢れる、現代に相応しい作品と感じていたのですが、まさかの中途半端な展開での放送終了。監督のツイッターによると、打ち切りではなく、元々分割2クール作品として作っていたが、放送半年前に1クール分しか作れなくなったということ。監督は制作会社(エイトビット)はよくやってくれたと書いており、だとするとこれはTBS側の都合なのかと邪推しますが、赤根監督は作品のインタビューでオリジナル作品の重要性を語ってもいるのにこういうことなるとは、お偉い人々の意識なんてこんなもんかと今のアニメ業界の惨状を感じる出来事でした。
www.asahi.com

片渕監督のインタビューやその反応を見たりして思い出したのは、坂元裕二脚本のドラマ『カルテット』のパセリを巡るくだりで、自分のドラマの感想にも少し書きましたが、他のエンタメ産業と比べて、アニメ業界はパセリに目を向けるような土壌が薄いことが多様性がなくなってきている一要因なのではないかと考えたりして、そのことを次の記事で書いていきたいと思っています。

片渕須直監督が語るアニメの将来への反応について

朝日新聞GLOBEによる、片渕須直監督のインタビュー記事、

globe.asahi.com

が話題になっています。片渕監督と同じような危機感を、記事の話題に出た、韓国の富川国際アニメーション映画祭に同じく招待された山本寛監督も語っていて、そちらも参照にしてみると、より理解できるかもしれません。山本監督は常に今のアニメ業界の愚痴をyoutubeライブなどで言ったりしているのですが、取りあえず話がまとまっているものとしては、『アニメ・イズ・デッド』と、富川国際アニメーション映画祭の時の現地生放送を見ればいいと思います。


アニメ・イズ・デッド

ヤマライブ!#25

あと、中立?的な見方として、丁度3日に放送されたTBSラジオ『アフター6ジャンクション』で「ジャパニメーションはマジで世界に誇れるクールジャパン、なのか? 日本のアニメが海外でどう見られているのかちゃんと知る特集!」をやっていたので、こちらも紹介。

www.tbsradio.jp

さて、元の片渕監督のインタビューの話に戻ります。監督自身、見出しやまとめ方に取材者の主観が多く入っているというようなことをツイッターでつぶやいており、事実内容もとっ散らかっているせいもあると思いますが、記事への反応として、話題のツイートとして上位にあるものに、「世界に合わせる必要はない」「賞を取るような作品が偉いとかクソ」のような反発が主に反ポリコレ層と思われる人々中心に目立ちます。

ちゃんと読めばそんなことは全然言っておらず、多様性があることが大事だけど最近は画一的になっているんじゃないかということを語っているだけなんですが、反発している方々は自分の好きなものを批判されたと思い込んだのか、中には目に余る物言いもあったりして、がっくりします。

山本寛監督は、覇権アニメといった売上・人気至上主義的な概念を真っ向否定していて、大衆化したオタクが&それに追随する業界が文化を潰しているというようなことを語っているのですが、今回の片渕監督の記事への反応を見て、やはり人気があるのが正義みたいな価値観を持つ人が一定数いるのだなと改めて認識しました。

オタク事情やその変容について、あまり分からない方もいると思いますが、そのあたりはアニメ『映像研には手を出すな!』が終わったら作品に絡めて何か書くかもしれません。

倉本聰版『この世界の片隅に』をやってる『やすらぎの刻〜道』 中途感想

すでに同じようなことを言っている方がいるとは思いますが、倉本聰さんがやすらぎの郷を使って、倉本版『この世界の片隅に』をやっているという変なドラマですw

なんかWikipediaのあらすじ説明が少し間違ってるので、簡単にあらすじを書くと、過去に菊村が書いた、お嬢とマヤが主役にしたドラマの脚本が突然没になったという話を回顧するエピソードがあって、その後、菊村が新しいやすらぎの郷の入居者の水沼六郎(ロクさん)と出会い、その人となりと昔話に感化され、没になった脚本をベースに、ロクさんをモデルにしたキャラを主役にした話を自分のために書き始め、その菊村脚本のドラマ『道』が『やすらぎの郷』の面々のエピソードを挟みつつ、劇中劇で描かれるといった話になっています。

『道』は、時代が昭和11年、山梨のとある山間の村の養蚕農家、根来家についての物語で、根来家の日常が戦争が始まることにより少しずつ変化していく…といった内容で、日常描写を丁寧にしていて、笑える部分も多かったり、三男が絵を書くのが好きだったりと、絶対に『この世界の片隅に』を意識してるだろ!という要素が多々。

更にこれからどう戦争を描くのか、現代編で何が描かれるのか楽しみです。

 

やすらぎの刻 ~道 ~ 第1巻

やすらぎの刻 ~道 ~ 第1巻

 

ヤマカンブログ雑感 / アニメ・イズ・デッドのその後

ヤマカンこと山本寛監督が京アニ放火事件について書いたブログが話題になっています。

https://ameblo.jp/kanku0901/entry-12497416248.html

これは、その前に炎上した大阪芸術大学教授のコラムと似ている部分もありますが、「代償」というのは自省も含んでいて、主張の趣旨としては、主にネットが生む狂気、一種の過激なファン心理が暴走した事件と捉え、いわば「クレーマー」に屈するようなことがあってはならない、セキュリティ面を含めて自衛する手段を真剣に考えなければいけないというものだと僕は捉えました。犯人の動機が未だに不明瞭の中で、安易な結びつけをするのは危険ですが、一般論としては同意します。

さすがに本人が割り切っているとしても、この乱暴な文章では誤解を生むのは仕方がない面があるのですが、前段として貼られている動画を見れば判る通り、トークはインテリオタク的な、映画評論家の町山智浩さんなどと似たような話し方をしていて、すんなり話が入ってくるものなので、ブログを書いたりTwitterで不毛なやりとりをやるより、生放送とかで口で語った方がいいのではないかと思う次第です。

さて、ここからが本題でブログに貼られている「アニメ・イズ・デッド」について。


アニメ・イズ・デッド - YouTube

簡潔に内容をまとめると、2007年くらいからクリエイターよりネットを主とした視聴者側の力が強くなり、そこに振り回されるようになってしまい、アニメから思想やテーマが消えて、萌え日常系が台頭してアニメがつまらなくなった=アニメが死んだというもので、これは誰が悪いというわけではなく、政治的な動きも含めて世の中の潮流がそうなってしまっているということを語っています。(にもかかわらず、ヤマカンさんは、今回の件ではオタクというところに拘って批判しているようにみえることが引っかかりますが)一つ注意したいのは、イベント後日に行われた岡田斗司夫さんとの対談を見れば分かりますが、ヤマカンさんは萌え系・日常系滅びろ!と言っているわけではなくて、あってもいいけど、右向け右でそういうのばかり偏って溢れてしまうことが嫌というようなことを言っていて、これについては同意する方も多いのではないかと思います。

さて、この2016年のトークイベントから3年経ってどうなったか?

言うまでもなく、異世界転生ものや、なろう系作品を中心としたファンタジーが流行っており、その特徴として、いわゆるチートもの、能力値が高い、モテるといった、主人公補正が高いような作品が目立っています。

動画の中でヤマカンさんは、現実逃避に向かっていると語っていますが、日常系は、聖地巡礼だったりイベントに行ったりするような日常を豊かにする要素があり、どちらかというと視聴者はリア充度が高い面があるのと比べると、異世界系の流行は現実逃避度がより高い方へと向かっている傾向にあると思います。

それが世相を現しているかどうかは慎重に考えたいところですが、反ポリコレやN国の躍進などを見ると、何かリセット願望・破壊願望的な鬱屈としたものが溜まっていっているのではないかと危惧します。