さぶかるもん

アニメ歴約20年、ドラマ歴約5年の硬派オタクによる備忘録

『HuGっと!プリキュア』が低評価な件

坪田文さんがシリーズ構成ということで久々にプリキュアを視聴。坪田文さんは、ドラマ『コウノドリ』に関わっていることから、育児問題がメインテーマに描かれると思っていたのですが、前半以降その面の陰は薄れ、話題になった男の子プリキュアなどジェンダー、多様性の話にシフトしていって、少し散漫で中途半端な印象はありましたが、それも育児に関わる事であり、どれも重要な内容で意義ある良い作品だったと思います。

しかし、知る人ぞ知る、老舗の作品感想投稿サイト「作品データベース」の評価の50件中31件が不評で、最低評価の最悪が20件もあり、歴代シリーズの中でワースト2位(一位はハピネスチャージプリキュア)ということで、何がそんなに不評の要因になっているのか気になったので最終回放送後に投稿された感想を中心にツッコミつつ見ていきたいと思います。ただ、ブログ筆者は坪田文脚本回の重要そうなところしか視聴しておらず、細かい整合性やシーンについては語れないことを断っておきます。

 

全体的にはキャラに一貫性がなく積み重ねの描写が薄い、といった意見が多く、ちゃんと細かく見ているような、なるほどなと思う意見もありますが、一方、なにがそんなに気にくわないのか理解しかねるような意見も。

それっぽい台詞だけは吐いて来る薄いキャラ付け、相手の意見は悪扱いしつつ自分達の意見は正義として押し付けるメッセージ性というものを履き違えた展開。
スタッフが自分達の思想を垂れ流しにするのが第一で、子供に向けた作品を作るつもりが無いって事なんでしょうね。

はなの応援とか押し付けがましいところはありますが、それだと歴代シリーズを全て否定することになってしまわないか(笑)

また、この作品の特徴として、敵をやっつけてお終いということでなく、幹部の面々を浄化して相手の事情をある程度慮り、説き伏せて改心させ、新たな人生を始めるといった流れがあり、単純な勧善懲悪な話ではないでしょう。この方の理想の子ども向け作品がどういったものか分かりませんが、メッセージの内容などを考慮せずに否定するのはまさに独善的な見方です。

 

関連して、応援といった部分について批判的に書かれているのも目立ちます。

「頑張れ」と声に出すだけなら実に簡単な事だ。応援団のエールに説得力があるのは、応援団に応援される側に負けないだけの覚悟や積み重ねがあり、応援される側がそれを知っている、応援団との間に信頼関係が構築されている、そういった場合だけだ。相手の事情を知らず知ろうともせず「頑張れ」を連呼するのは無責任なだけで応援にならない。病気や欝、打ちのめされたばかりの人間が、
最も口に出して欲しくない言葉が「頑張れ」だ。

しかし、この作品は応援を無条件に賞賛しているかといえば、そんなことはなく、5話での『十分がんばっとるヤツに、がんばれいうんは酷』や8話での若宮アンリの『応援なんて誰にでもできる。その無責任ながんばれが 彼女の重荷になってるんだよ』といったように応援することの難しさも描かれていました。

参考記事→「十分がんばっているヤツに、がんばれ言うのは酷」これを言える今年のプリキュアは、強い。- プリキュアの数字ブログ

 

一番いいねがついていた意見がこれ

脚本の独りよがりっぷり
この一点につきます。
「目立ちたい」「社会派気取りたい」「高尚ぶりたい」という、脚本の浅はかな欲望が透けて見える作品でした。
この欲求を満たすために、子供が理解できるかは完全無視、如何にSNSで話題になるかに終始した話が多すぎです。

他の長文の批判も大体要約するとこんな感じで理解できる部分もありますが、基本的に悪い部分しか見ておらず、批判してやるという姿勢が目立つということです。

まあ、かくいう自分も細かいことが気になり、過去に批判メインの記事も書いたことはありますし、宇多丸さんのように子ども向け作品だからといって甘く観ずにダメな部分はきちんと言うような姿勢を支持していますが、ここまで負の感情が優先したような感じで否定してしまう根底に何があるのか気になります。大人として、子ども向け作品を見る際、望ましくないような影響を及ぼすようなところがあれば批判するのは当然ですが、ここまでムキになって否定する作品では全然ないと思いますし、ここにある多くの批判は個人的に不快といっただけでしかない手前勝手なものが多い印象を受けます。

子ども向け作品というのは、親と子どもが一緒に観て、あれこれ語りあい共に学ぶといった形が理想だと思っていて、足りない部分は補いながら伝えていくべきでしょう。まあ、個人の感想なんだからいいんですが、何でこの人たちはプリキュアを見ているんだろう?と疑問に思った次第です。