さぶかるもん

アニメ歴約20年、ドラマ歴約5年の硬派オタクによる備忘録

表現することの根源を問う『カルテット』

この作品から色々語れることは多く、どういった方向で感想を書こうか迷ったのですが、最終回で4人に宛てられた手紙を軸に、クリエイター論を語ってみたいと思います。

まず、カルテットドーナツホールに送られた手紙の引用。

 

皆さんは奏者として才能がないと思いました。世の中に優れた音楽が生まれる過程でできた余計なもの。みなさんの音楽は、煙突から出た煙のようなものです。価値もない。意味もない。必要ない。記憶にも残らない。私は不思議に思いました。この人たち煙のくせに何のためにやってるんだろう。早く辞めてしまえばいいのに。~ 教えてください、続けることに価値があると思いますか?意味があると思いますか?将来があると思いますか?

この手紙の問いかけに対して、届く人に届けばいい。と、ドラマ上では回答が示される。 

 

プロの作品でも、世に出た表現は、それぞれの基準で評価される運命であり、自分にとって、価値がない、必要ないと判断したら、切り捨てるということを私たちは日常的にやっていて、それはドラマの中でコンサートの1曲目が終わったあと席を立ち帰る人たちの姿と重なる。

 

その審判を受けているのは、このドラマそのものもしかりで、視聴率だけでいえば平均8.9%と、圧倒的多数が観ていないという現実があるが、twitter上での盛り上がりの活況が示す通り届く人には届いているわけであり、これは全てのクリエイターに対するエールとして受け止めることが出きると思います。

 

そして、家守のパセリ講義。

パセリがないと寂しいでしょ。殺風景でしょ。食べても食べなくてもいいの、ここにパセリがいることを忘れちゃわないで。

一部のアニメファンの間では、殆ど話題にならず、存在感の薄い作品が空気アニメと評されたり、アニメファンに限らず、売れた作品が価値あるもの、そうでないものは無価値みたいな風潮があると感じることがあるが、パセリのくだりは、一部のマニアしか好まないような作品にも価値があり、意味があるという力強い改めて宣言するセリフである。

 

ただ、これは作り手を甘やかすものではなく、釘をしっかり刺してもいる。それはカルテットドーナツホールがコンサートに向けて、練習の場面以外でも演奏のことを考え、手を動かす別府や家守たちの姿勢に現れており、3流ながらもベストを尽くそうと、ひたむきだ。4人が最初に出会った時に語られたように、自分の気持ちが「飛べ!飛べ!」という願いが込められており、「届く人に届けばいいやー」といった諦観したような態度でいい加減になるな、手紙の問いを常に自分自身にも問いかけろという厳しさが、そこにはあるのだ。

 

カルテット1

カルテット1